Camera Raw.
■ の設定で一晩を無駄にした。
クローンのHDDに繋ぎなおし、その上で設定してみるのだが旨くゆかない。
ノートPCで検索しながら、あれこれを進める。
PCの世界は非常に原始的な部分があって、なおかつとても脆いものだという気がしている。
北澤さん、ネットに繋がらないんですっ、とか言われ飛んでゆくと、君さあ、ケーブル刺さってないよ、ということが先月にあった。
ま、相手は妙齢だから。
■ これは表現の世界にも言えることだ。
例えばブログその他で、ネットや既存のメディアから簡単に時事ネタをひっぱってくることは可能だが、そんなものは中学生のHRの延長でしかなく、論に奥行きはない。
省かれたものがどれくらいあるのか、その手触りは、重さは。
ところが読む側もそこまでは考えてもいず、ネタの消費としてしか捕らえていない。
つまり、自分を語るために他人の文章を借りるという構造である。
■ さておき「夜の魚 外灘」は、返還前の香港映画そのままのノリで荒唐無稽になってゆく。
ジョン・ウーはまだ今ほど有名ではなかったが、評論家の北上二郎さんなどは奥深く酔っ払って絶賛していた。私も深夜、まだDVDなどがない頃だが、漠然と借りてきたビデオを眺めていた。
その影響がないとは言えない。
できるならば、視覚的に想像して読んでいただければと思っている。
何故、相手の弾があたらないかというと、これは物語だからである。