面白半分 2.
■ ネット上の言説というのは、畢竟自分を確認するものが多いのだが、自己イメージを延々と追いかける40男というのは、やや気味が悪い。
緑坂もそうではないかというご指摘も、ともいえるな、という側面がある。
■ ま、それが仕事ですから。
と、間にある薄い膜のようなものを省いて答える。
一体に芸術というのは、そこにあるものそれだけでは成り立たない。
根にある本来の資質や方向性、滲み出てきている脂のようなものの総体ではないかという気がする。
これがリアルとか生活とかいうもので、つまり肉体を持ったひとりの人間が、世界と自分とをどう眺めているのかという、そのプロセスのようなものに近い。
芸術と言うと大げさだとすれば、例えばカメラを持ち、シャッターを押せば一枚の写真は出来上がる。この辺りは小林秀雄が写真論の中で端的に指摘していた。
それを第三者が作品と評するためには、どういう作業や経緯が必要になるのか。
もちろん、自分だけがそう思っていても仕方のないことである。
■ 緑坂はTBを許可していない。
こちらからも送ったりしない。
yahoo には、かつて五つ星を貰った経緯から、なんだか違うところに載せられているようだが、そこから何人きているかということも定かではなかった。
緑坂にとってブログは、単に更新の簡易なWebとしてだけ使っていることになる。
ただでさえ十分ではないデザインが、TBで乱れてゆくことが、美的ではないなと思うところもある。
感想が付く、ということは一見すばらしいことのように思えるのだが、こうした表現の世界では逆である。
例えば女子大生に緑坂は面白いですねと褒められても、ドウモというしかない。
持てる機能を全部使わねばならないとするのは、携帯電話を買ったばかりの高校生のようなもので、48種類もやり方があるんだぜ、と仲間内で驚いていた頃が懐かしい。
最近はメンドウなので、基本に還っている。