四月の雨 2.
 
 
 
■ まあそれはそれなのだが、バブル期に入るとスタンドがつぶれた。
 従業員はちりじりになり、付近のいくつかへと流れる。
 そこではそう暢気なこともしていられず、ガスを入れたらそそくさと帰らないといけないような空気になってしまう。
 熊さんと勝手にあだ名をつけていたひとがいて、彼は中野に住んでいた。
 中野から高輪、後に江南へ通っていたのだけれども、私よりもいくつか上だったろうか。
 
 
 
■ ある雨の夜、彼を乗せる機会があった。私も新宿へゆく用事があり、ついでにという按配である。
 熊さん夫婦には子供がなく、確か奥さんも働いていたように他の誰かから聞いた覚えもある。
 出身が何処なのか聞くことはなかったが、バッテリーが不意にあがった私の車へ、ケーブルを持ってきてくれるのは大体彼であった。
 降りる際、来月からそこにはいなくなる、と彼は言った。
 え、と聞き返したが、そこでどうするということは尋ねなかった。
 ショルダーバックを持って、もそもそ降りてゆく。
 じゃ、また。といってそれきりになった。
 なんとなく、中学のときの友人と別れたような後味が残っている。