銀座の白い薔薇。
■ 数年前、安楽なスポーツカーが欲しくなって、バブル期の国産のある車種を狙ったことがある。CGのバックナンバーで調べたりした。この場合、後ろの羽のつかないものは案外ノーブルだろうかなどと考えた。最終型はほぼアメ車のようで、今でも結構な価格をつけている。
■ が、廻りから、それだけは止めておけと言われる。
デザイナとして(いい歳をした)終わりだとも言う。
そこまで言わなくても、という気もするのだが、世間というのはそういうものであって、誰一人賛成はしてくれなかった。
買ったら乗らないよ、とまで言われる。
■ 車というのは単体で存在するのではなく、社会の中のひとつの風景と記号だという説がある。返還前の香港のメルセデスと言えば、足立ナンバーのタクシーと同じくらいに分かるひとには分かる。
いわゆるプラチナ通りというところでは、地方都市の一家が住めるマンションひとつ分のベントレーが違法駐車をしていて、サングラスをした妙齢が運転席に乗り込んだりしていた。
300円払えばいいのにな、と赤くなったメータを見て思った。