一月の薄い恋 2.
 
 
 
■ 頼まれ仕事でも作品でも、何かを作っている時というのは自分の中に篭もる。
 篭もれるだけの自分があるかというと疑わしく、自分だと思っているものが別の何物かだったりする。
 特に写真というのはそうで、被写体がこちらを呼んでいるような瞬間があるのだ。
 そして、いいコピーというのも、概して同じようなことが言える。
 いいものとは、例えば繰り返し使える、ある種普遍的な言葉である。
 
 
 
■ 幸いなのか、緑坂には固定的な読者がついていて、一日の来訪者は三桁を下らない。 時々、全ての作品を眺めているのだろう、HIT数が一日一万を超え二万に近いことがある。ネットの世界で数というのは本質的にはどうでもいいのだが、こういったやや列の外側にいるかのような作品に、一定の読者がいることに驚く部分もある。
 静かに読んでいる方々の含み笑いや呆れ顔が浮かぶこともあった。
 
 
 
■ せんだっても古くからの読者に、緑坂は潔癖であると指摘された。再度である。
 潔癖なら午後の寝癖というものはない筈だが、その人が言いたかったのは、別の意味合いも含んでいるような気もしている。
 緑坂というのはいわゆる「情報」ではない。
 もちろん日記でもないのであって、では何なのか。
 そんなことは知らないが、個人的にはネットを使った文芸のひとつのかたちであろうかと思っている。
 派生する写真もデザインも、注意深く辿ってゆくとその根は緑坂にあるものだと自分では考えているようだ。