かげろう 4.
 
 
 
■ 旧日本軍の駆逐艦には風雅な名前がついていて、陽炎というのも確かあった。
 千隻近くいた駆逐艦も、終戦当時まで生き残ったのは僅か、例えば「雪風」などは幸運な船として映画にもなっている。
 
 
   市民の恋。
 
 
 
■ ほど、読んでいてツマラナイものはない。
 自足してしまってそこからはみ出てゆこうとはしない。
 実生活ではそれが正しいのであるが、文章にすると、そういうものを人は楽しんで読むという按配ではない。
 一説によると、恋を語れるのは百回までだという。
 女の居ない男というのは明確にモテないが、紐のついた男というのも同じように相手にはされない。
 紐というのは勿論目に見えなくて、ある意味では自分から絡まってゆくこともあるのだろうけれども、何時でも逃げられるのだと思っている間はなんとなく強気でいられる。
 髪の毛一本程の気配で、マアイが狭められていることに男は気付かない。
 飼われてみて始めて分かるのだ。
 
 
 
■ これは、Aネットを放逐された主観的文学至上主義の方々とバトルになった頃書かれた青瓶である。94年頃。
 何故これを書き写したかというと、全く緑坂だからである。
 つまり、今これを書いたとしても、そのある部分は通じるものだと考えた。