かげろう 3.
 
 
 
■ 古い「太陽」に、山本夏彦さんがコラムを書いていて、技のある意地悪とその単独旅行という按配であった。
「意地悪は死なず」という名言は確か山本さんではなかったか。
 実をいうと私も、ここであれこれを書きたいのであるが、婦女子が読んでいるのでやめている。
 そういうひとだとは思わなかったわっ、と言われたことが今年も何度かあった。
 
 
 
■ 書くということは必ずどこかに毒を含んでいる。
 一枚の絵であれ写真であれ、つきつめてゆくとそういう部分はあって、その毒は畢竟自分に還ってくる。
 そういうことが分かるのは、例えば君が今の仕事に慣れ、30を過ぎ、男と女の厄介を一二度潜り抜けてからかも知れない。
 いくじなしと裏切り。知らずにそうしてきたことが何度かある。
 私はイタシカタのない青春は好きだが、だってわたしは正しいの、と自己肯定丸出しの青春後期は苦手である。陰影のない30男も女も暑苦しいだけだ。
 
 
 
■ いつだったか、銀座のあるブランドショップにいった。
 映画「死刑台のエレベーター」の中で、エレベーターに閉じ込められた時、灯かりの代わりに点けるライターがあるが、つまりはそういった類いの店である。
 雑居ビルの上に修理部門があって、赤い絨毯が引かれている。
 能面のような顔をした女性が出てきて、品物を預かる。
 なるべく無表情であるべきとマニュアルにあるのか、それとも周期の故か、瞬きをしない一重まぶたと化粧が印象に残った。
 三十分程待ったろうか、私は監視カメラの前と横で煙草を吸い、外に駐めてある車にチョークが引かれていないか心配をした。
 安い革張りの椅子があり、その横に雑誌が並んでいる。
 持っているデジカメでその雑誌を撮った。
 つまり、この店にくる顧客が読んでいるのは、そういった粋なオヤジ雑誌である。
 ないしはこのブランドは広告を出している。
 成程、これを信じてメルセデスの中古が売れる訳なのだな。
 全国のコンビニで、それを立ち読みする男たちの背中を思った。
 弁当が温まる間、それを手にとりそして戻す自分の姿を考えた。