かげろう 2.
 
 
 
■ ハウス・ウィスキィをショットでくれ。
 と言ったら、そういうものは置いてないという。
 最近、そういうやりとりに慣れているので、無難な銘柄の無難な年数を頼み返した。
 ショットで、と指定しても頼まないとチェイサーは出てこない。
 
 
 
■ 〆切をいくつか終え、時間があるとデータの整理をしている。
 交換型のHDDに入れていたものを全てDVDに移す。HDDは便利なのだが、クラスタひとつ死んでも全体が読めなくなることもあり、リスクが大きい。
 DVD-RAMも数十枚あるが、時々不安定なので次第に減らしてゆこうとしている。
 今年は大きな撮影にゆかなかった。
 一時、熊野から吉野へと予定していたが、急な仕事が入って流れた。
 私生活上の変化というものももちろんあるが、それよりも自分がやってきた世界を形にしようとする気持が強かった。
 その一端が、フィルムメーカーとの提携である。
 
 
 
■ 古くからの読者はご存知かも知れない。
 今やっていることの原型は、ほとんど全て yomine の文芸にあった。
 yominet とは、読売新聞社が運営していた有料会員制のインターネットサービスである。私は読売から業務委託を受け、文芸フォーラムの執筆と運営を行っていた。
 今、青瓶を仕切っている甘木君は、当時の助手である。
 当時はサボってばかりいるイタシカタのない青年であったが、昨今更生して、渋谷NHKのすぐ傍に住んでいる。色物のYシャツと深夜の饂飩さえやめれば、仕事も遊びも一番いい時であろうかと思われる。
 yominet はよくAネットと比較されていたのだが、後者は実をいうと某新聞とは関係がない。確か別会社になっていたような記憶がある。
 筒井さんの「電脳筒井線」があった故か、Aネットから溢れた文芸趣味の方々が yominet に流れ込んでくることがままあった。壮絶なバトルになることもあったが、適宜駆逐されている。
 ふりかえると yominet は、クローズドな世界ではあったが、今インターネットの世界で起きていることの多くはそこで先行体験できたように思えている。
 とりわけ、書くことと人間関係に関してである。