ベイ・シティ・ブルース。
 
 
 
■ 書棚を整理していたら、チャンドラーの本が落ちてきた。
 小泉喜美子氏の訳になる。
 故小泉さんは、日本ではただ一人の女性チャンドラー訳者である。
 昔どこかの雑誌の対談で、マーロウを可愛くて仕方が無いと書いていたことを覚えている。田中小実昌さんと、すこしばかり言い合う。
 文庫版の後書きの中にこんな一節がある。
 
「男色者では決してないくせに、そして女性に対して一応確かに優しいくせに、しかもそれにもかかわらず女性に対してある種の冷たさ、無関心さを仄かに、しかも執拗に示し続ける男(丸谷才一氏)を主人公にもつからこそ、私はそれを愛するのだから」
(河出書房新社:「ベイ・シティ・ブルース」レイモンド・チャンドラー:小泉喜美子訳:279?280頁)
 
 
 
■ 丸谷氏の指摘は、チャンドラーの生涯を辿ってゆくといさかか苦い気分で合点がゆく。
 過度の飲酒、年上の妻との死別。チャンドラーの生み出した、フィリップ・マーロウという男は、どこか半ズボンを履いたまま大人になってしまったかのようなところがあった。
 女性に対しての姿勢は、例えばハメットの「名なしのオプ」よりは圧倒的にロマンチックである。オプはさっさと不倫している。
 そのどちらが良いかなどいうことは、この際別として、例えばケーリー・グラントがマーロウを演じたら一番似つかわしいとチャンドラーが言っていることを思い出せばよい。
「北北西に進路を取れ」はヒッチコックだったが、あの複葉機に追いかけられる時のグラントの生真面目な走り方。
 それをモノローグにするとチャンドラーに近い世界が広がる。
 つまり現実の探偵ではなく、探偵ごっこをしている坊っちゃんという風情が、小泉氏のみならず、多くの読者の心を掴むのだろう。
 
 
 
■ 余談だが「北北西」の、複葉機の前のシーン。
 グラントが砂漠の真ん中でバスを待っている場面は、グラントが言われているほど大根役者ではない証拠ではなかろうか。
 あの画面を独りで持たせ、それが他の何者でもないというところに、例えばゲーリー・クーパーならどうか、ウェインならどうだったかなどということを連想させる。
 日本ならば、アラカンでも可。
 どこか、おかしさが滲むというところに、本来男が持っている幼児性や愚かさが滲んでいるようにも思えるのだ。