無限都市、ニューヨーク 2.
 
 
 
■ 音のしない夜だ。
 仕方なくアンプのスイッチを入れ、誰のだか分からないカクテル・ピアノをかけている。
「DELIRIOUS NEW YORK」(「錯乱のニューヨーク」鈴木圭介訳:ちくま学芸文庫)という本がある。レム・コールハースという建築家が書いたものだ。
 冬になろうとする頃合い、明け方近い六本木の書店で背中を丸めながら求めた。
 第一部は「コニーアイランド」
 マンハッタン島と向かい合うこの地域は、19世紀末からの橋の開通と輸送手段の進展によって、大衆にとって身近な場所となる。
 できたばかりのブルックリン・ブリッジ。
 ルナ・パークという一大遊園地がその向こうには広がっている。人工の砂浜。
 
 
 
■ コニー・アイランドがどんな場所であったのか、それを仔細に語るのは煩雑なので省く。
 毎日が万博というような、そこにいつしか、写真家のダイアン・アーバスが撮った異形のひとたちが笑いながら集まり、食事をし、イルミネーションを見上げていた場所。
 近代化への小児的な夢と、人間が持っている根源的ないかがわしさが並立していたところ。とでも想像するしかないのだろうか。
 アーバスは、「ハノイ爆撃」のバッチをつけて戦争賛成のパレードに参加する少年の姿を撮った。少年は笑っているのだが、その笑いの向こうに彼のプア・ホワイトの生活が透けて見える。退職した年金者パーティでの、社交ダンスの王様と女王。
 これらは風景としてどこか切断され、見るものに内的な違和を与える。
 彼らにとっては普通のことなのだが、やはりどこかでグロテスクなのだ。
 アーバスの写真というのはおそらく、こちらの市民社会性、あるいは中産階級の自惚れのようなものを内側から崩そうとするものなのかも知れない。
 
 
 
■ いつだったか、大阪に取材にいったことがある。
 地下鉄で南下して、動物公園駅前で降りる。
 そこから通天閣界隈を撮影し、いつのまにか西成地区、職安の二階に入り込んだ。そこには浮浪者が簡易ベットを並べ雨零をしのいでいた。
 私はカメラバックを持っていた。ニコンをぶら下げてもいた。ただし、ファインダーを覗いてフレーミングすることはできない。腰の位置で広角レンズによる置きピンを試す。
 交番の窓ガラスには金網が張ってある。職安前には、市役所の職員が青テントを強制撤去する作業が進んでいる。廻りに集まる人垣。時折低く入る罵声の声色が、まだ動きはしないだろうことを教えている。つまりは日常なのだろう。
 二時間ほど歩き、フィルムを三本消費し、露天で売っているグンゼの白いブリーフを一枚買い、LじゃないんだMはないのかと言い張った。質屋で売っているようなブリーフだった。
 それからエロビデオの露天販売を数本ひやかし、学園紛争の時にみかけたフォントで描かれた縦看板の横に座り込んで通りを眺めた。
 ここが多分支援団体の事務所であり、最も敏感にカメラを拒絶する場所であろうか。
 取材なのだ、という気分を自分で持たないようにしている。
 隣に男がいて、多分私よりも若い。
 膝を立て、肘の中に顔を埋めている。薄く唸ってもいるようだが、こちらには聴こえない。数日青カンを続けた気配がある。
 私は煙草をアスファルトで消し、二口飲んだペット・ボトルのお茶を男の傍に押しやって、いるかい、と低く尋ねた。断られたら別に無視をするつもりでいた。
 男は顔を上げ、うなづく。
 それも、どうでもいいことだと思う。