化粧坂。
 
 
 
■ 再掲する。
 
「化粧坂(けわいさか)と呼ぶ坂があった。江戸に少なく地方に多い坂名である。江戸では、浅草の千束町から吉原土手に上る坂を化粧坂と言った。これひとつだけである。しかも、吉原土手がなくなったとき、同時にこの坂も消えてしまった」(横関英一:「江戸の坂 東京の坂」中公文庫 163頁)
 
 
■ 横関さんのこの本は、昭和四十五年一月に有峰書店から刊行されている。
 なかに随分と写真が載っていて、ご本人の撮影による。
 昭和三十五年から数年間の東京の町と坂の写真をぱらぱら捲っていると、時間がとまっているかのような錯覚に襲われる。
 坂のむこうにトラックが駐まっている。
 確か、裕次郎がでていた日活映画の喧嘩のシーンで、こうしたボンネット型のトラックが背景としてあったことを覚えている。
 坂に人通りはすくない。
 
 
 
■ 化粧坂というのはなんとも粉っぽい呼び方で、祭りの日の小さな女の子の紅の色や女郎衆のそれ、または旅役者の壁のような白色までを思い出す。
「化粧師」「帯師」などという職業が確かにあったと描いていたのは上村一夫さんだった。
 歳末の頃、私は東京の下町の繁華街にいって、高いんだか安いんだかよくわからない瀬戸茶碗を手に取っていた。
 せめて新年には新しい味噌汁の椀を使おうと思ったのだ。
 花魁の格好をしたすこし太ったおんなのひとのポスターが貼ってある。
 よくみると男性なのだが、スタンプを集めるとその公演にゆけるという。
「夢芝居」とはいつもそうなんだろう。
 その日は寒かったけれども、歳末のゆるやかな坂を降りて戻った。