「緑坂」 Classic 2004.Essay & Copy.
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緑色の坂の道
■ 「緑色の坂の道」 Art & Literature
緑色の坂の道 Classic
■ 「緑色の坂の道」 Classic
夜警。
■ 拍子木を鳴らしながら、町の数人が歩いている。
ひとりは少女のようで、学校が休みになったのだろう。
ここは都心の都営住宅なのだ。
植え込みの前に、手入れされていた鉢の跡が並んでいる。
沈む寺。
■ 確かそのような題名の曲があった。
ドビッシーだったか、覚えていない。
夕方になると、ピアノの音が聴こえることがある。近くに住むひとが薄く窓を開けているからだが、同じ曲を何度も何度もくりかえしている。
私はといえば、あれとこれがまだだったと思いながら、壊れたソファに横になり、カーテンの向こうへの空を眺めている。
髭が伸びた。
ピアノはたどたどしい。
■ お釈迦様は自分だけよくなろうとしたカンダダのこころをいましめ。
とかいう台詞を覚えている。うろ覚えである。
「蜘蛛の糸」の中の一節だったろうか。
つげ義春さんの「リアリズムの宿」の中にも使われていた。
北の町は、既に雪だ。
若い夫婦がやっている土産物屋があって、地場の干物などを売っていた。
明るい色の防寒具を着た奥さんが店番をしている。
少し太った眼鏡をかけたご主人が、その町の青年団のまとめ役をしているらしい。
町の便りが、店先に置いてあった。
静まる月。
■ 昨日、丸い月が出ていた。
皇居を左に日比谷方面へ抜けると、広い空の上に見事に丸くある。
雲はなく、ビルの上の方だかが赤い。
■ それにしてもさ、一年色々なことがあったさ。
たいしてできなかったけれども、そのたいしてにゆくまでに時間がかかる。
最近、そんな風に思うようになっている。
横ばいが長く続いて、一定の量に達した時に質的な変化が起こる。
社会学か何かのひとつの流儀だけれども、おおむねそのようであるかと思われた。
■ けれども、無限に拡張はしない。
ひとにも周期があって、どう歳をとるかということも考える。
そろそろいいかな。
なにがだろう。
程のよさ。
■ ひとつの技術を追求することがその人間の成長を促し、社会的にも成功してゆくというジャンルの物語があった。これは教養小説と呼ばれている。
「宮本武蔵」などがその代表なのだが、この作品は戦時中、軍人の精神修養のモデルとして人気を博した。
実際に、武蔵が社会的に成功したかどうかは別にしてである。
一方で、技術を極めることが人間的には破滅の道に繋がるという世界もあって、これは「麻雀放浪記」などに代表される。
なぜなら、博打というのは勝ち続けることができないからで、その世界を続けてゆくことは、ある意味で負けることに麻痺してゆくという側面があるからだ。
何かを削ることで成立する世界というものもある。
■ 表現をする際、時々そういうことを考える。
細かな技を売っているのではなく、特性は別のなにものかであるという自覚だろうか。
それを支えるものが、水面下の技術なのだが、いいところまで見たら後は忘れることにしている。
行方 5.
■ 緑坂はいつのまにか、連作になっている。
と、読者に言われたことがある。
表題のコピーを考えるのがメンドクサイからじゃん。
ドウシタラヨカロの、ツー。
■ どうでもいいのだけれど、時というのは夢のようだ。
君は綺麗なひとだが、寝起きを共にしなければならないというのは堪える。
眉毛、ないんだね。
私はといえば、滅多なことではピクリともしなくなり、こころ穏やかに夜の庭を眺めている。
行方 4.
■ 国立能楽堂だったか、皇居を見下ろす位置にあれこれが建っている。
その庭で煙草を吸っていた。
すぐ逃げられるように、車はハザードを点けて近くに置いてある。
確かここに御学友の誰某がいるのだが、相手は赤門からの方なので刺青が違う。
こちらは、いくつかを門前払いされてシノいできた。
架空の指は何本も短い。
■ 警邏の警官が通る。
おつかれさまです。
と、こちらから頭を下げる。
職質されないことが、歳を取った証しなのかとも思う。