「緑色の坂の道」vol.3566

 
    愛と勇気とあんなもの。
 
 
 
■ すこしぼんやりしようと思い、タクシーを拾って虎ノ門にゆく。
 私はゴアテックスのジャケットで、その下はプレスを忘れた綿のパンツである。
 ガスの乾燥機を使うと一気に乾くのだが、生地には悪そうだ。
 2000円以下のすこし細い葉巻を買い、100円ライターで火をつける。普段使っているそれを忘れたからである。
 もうすこしなんとかした方がいいのではないかという密かな声も聞こえるが、何バーなんてものは、退屈な男たちが集まることが基本だと信じている。
 あ、どうも。
 などと言ってスツールに居る先輩諸氏に頭を下げる。
 
 
 
■ だが12月はざわついている。
 背中の辺りに、そういう空気が張り付いてきて、私は居心地が悪かった。
 若いバーテンが尋ねる。これからどこへゆくんですか。
 うん、埋立地で煙草吸ってるさ。
 彼もまた泊まりで、地下にある寝床で仮眠して戻るのだ。

「緑色の坂の道」vol.3565

 
    12月にできた友達。
 
 
 
■ という緑坂も、この季節定番である。
 私には定番のそれがあって、ネタに困ると堂々とそれを使う。
「みんな歌いながら通り過ぎる」
 などは、10年以上繰り返している。
 
 
 
■ 若いときというのはとかく技に走りやすいものだ。
 一定の年季を積むと技で濡れる訳でもないことに気がつく。
 手を握るのが好きなの。
 いや、そうでもない。
 別にいいんだあんなもな。

「緑色の坂の道」vol.3564

 
    人生が福岡県。
 
 
 
■ あんた、ぐずぐずしているんだったら辞めてしまいなさいよ。
 昔みたいに身体使って仕事すればいいだけじゃない。
 と、細君に言われたというジャーナリストと酒を飲んだ。
 細君というよりも、もうすこし違う。
 奥さん何処。
 うん、福岡県。

「緑色の坂の道」vol.3563

 
    人生が青森県。
 
 
 
■ という緑坂を、10年ほど前に書いた。
 昔からやや馬鹿だったのであるが、これが「ウスラ馬鹿」となるとほぼ救いようがないような気がする。薄いそれである。
 なにをしてもしなくても、男たちというのは突堤の先にいる。
 俺は何をしているんだろうなあ。
 わからないけど、二月の五所川原は寒いらしい。

「緑色の坂の道」vol.3562

 
    飾りのついた四輪馬車 2.
 
 
 
■ セントラルパークの辺りには、観光客相手の馬車が並んでいて、と聞いたことがある。
 私はまだ見たことはない。
 もしかすると冬だけのものなのだろう。
 根拠なくそう思うのは、古いJazzのジャケットにそうしたものがあるからだった。
 当時のJazzメンはネクタイをしていて、二ヶ月分の家賃より高いスーツを着ていた。
 これでソフトを被っていると、終戦直後の愚連隊にも似てくる。
 どういう訳かズボンが太い。

「緑色の坂の道」vol.3561

 
    飾りのついた四輪馬車。
 
 
 
■ 夜が明けてきた。
 冬の夜である。
 地下に降りて、古い水平対向二気筒のエンジンを暖気し、それから羽田のあたりまでゆければいいのだろうが、私は歳を取ったのだとおもう。
 〆切のようなものをひとつ送って、安いスコッチを嘗める。
 つまらないな。こんなものか。

「緑色の坂の道」vol.3555

 
    夢去りしマチカド。
 
 
 
■ 男というのは無駄な生き物だとおもう。
 ただひとしずくのために、格好をつけたりそうでなかったり。
 数年に一度だけではあるが、半ば出家したくなる師走の頃合、横浜は日の出町に泊まる。
 あるいは鶯谷界隈をうろつく。
 よってらゃいよ、と誘うリー・マービンが化粧したかのような元妙齢に誘われ、短い間立ち話をしたりする。
 あんた、どっからきたの。
 いや、北の方だよ。
 邪魔して悪かったな、と自動販売機で暖かいお茶を買う。
 そうもゆかないので、細く折った千円札を胸元に煙草のように落としたりする。

「緑色の坂の道」vol.3554

 
    イブのヒール。
 
 
 
■ 確かバブルの終わり頃だったと思う。
 表参道は今ほどブランドの店が並んでいなく、夜はもうすこし控えめだった。昼間はいったことがない。
 イブの前夜、私は代々木公園の方から車を流してきた。
 当時はドイツ車に乗っていて、スポイラーの下にラリーでよく使う大型のスポットを付けていた。
 交差点の辺りに何か光るものがある。
 避けようと速度を落とすと、それはベルトのついたピン・ヒールで、色は何色だったのか覚えてはいない。
 馬鹿な女だな、と思いながら、今になると片足でタクシーから降りている姿を想像もする。

「緑色の坂の道」vol.3553

 
    コートについて。
 
 
 
■ せんだって、ヘプバーンとケーリー・グラントの「シャレード」を見返した。
 年齢というのは首筋に出る。
 グラントが着ていたコートは、アクアスキュータムのシングルだったのだろうか。
 黒いスーツの上に羽織って走ると、ほぼ10歳は若くもみえる。
 オードリーが着ていた、襟の立ったジヴァンシーもそうなので、つまりラインと色なのだなと、おかしな処に感心もしていた。

「緑色の坂の道」vol.3552

 
    ブルー・クリスマス。
 
 
 
■ 何故このようなことを書いているかというと、緑坂の「ティファニーで」を書いていて、すこしばかり気が重くなったからである。
 いわゆる中年になると、視えなくてもいいものまで視線に入り、気分は前立腺肥大である。
 君ってさ、生理重いだろう。
 とか、平気で聞くようになる。
 それにしても、カタカナでクリスマスと書くと間が抜けている。