三五 夏雨
 
 
 
 
■ 上海大厦にもどった。
 走羽のところの髪の短い若い男がアウディでむかえにきたのだ。
 彼がつくまで一時間程かかった。
 雨は一度あがったかにみえたが、今度は薄くて広い雲が大陸から流れてきた。上海は久しぶりの本格的な雨になった。
 穴のあいた上着を手にかかえ、私たちはのろいエレベーターに乗った。
 
 私は濡れた古いタオルのようにくたびれていた。
 ドアの前に立つと微かに話し声がする。日本語のようだ。誰かが尋ねてきているようだ。
 走羽は気配を察知し、指を一本たて、廊下を引き返した。
 呼び止めようと思ったが理屈はわかる。
 彼は今来た廊下を歩きながら、左手を耳に当てる仕草をした。電話しろとのことだろう。私はその後ろ姿を暫くみていた。
 部屋に入る。葉子とともに真壁が中にいた。
「どうやって手錠を外したんだ」
「なによ、あれ鍵の要らないオモチャじゃないの」
「そうだよ」
 そうでなければ鍵を捨てる訳がない。私はベットに上着を放り投げた。
 葉子は鼻を上にむけている。相手は後だ。
「ご苦労様でしたね。上海の公安に連絡が入って、何があったのかわかりましたよ」
 真壁が口を挟んだ。こうした夜にネクタイ姿をみるのはイヤだった。
「ああ、そうですか、心配で覗きにきたという訳ですね」
「首尾はどうです」
「金が足りない。相手は思っているよりも強大だ」
「というと」
「北京の党幹部の子息達がここの地上げに参与している。奴は彼等とのパイプを誇示していた」
「なるほど」
「アラブは直接関係はないとおもう。あんたと晃子の資料にあったけれどもね。金が流れているんだろう」
「それは問題ですね」
「それはそっちで処理してくれ。今夜は二人を撃って、すこしのあいだ死んだんだ」
「死亡は計二名だそうです」
 真壁は眼鏡を持ち上げながら言った。彼は黒い鞄の中から分厚い書類ファイルと茶色の紙袋を取り出して机の上に置いた。
「これをどうぞ。では失礼いたしましょう」
 そう言って真壁が帰った。
 ファイルは晃子からのものだった。開封はされていない。茶色の紙袋には、ありふれたスコッチが一本入っていた。
 
 
○「夜の魚 外灘」B-了