六〇 水はいったいどうしたのだろう
 
 
 
■ 二ヶ月が過ぎた。
 夜の横浜新道を葉山の方角に向かっている。
 
 サンクのドアにはぽつりと穴が開き、ガムテープでそこを塞いでいる。病院が襲われた時、流れ弾が当たったのだ。
 私は海のみえる高台に小さな墓地を買った。
 冴の骨が半分だけ入っている。
 千葉の方にも分譲霊園があると吉川は言う。奴の会社が持っているものらしい。
 真壁から走羽に渡った小切手のうち一千万を私は貰うことにした。墓地を買い、残りは危険手当である。
 あの後、私たちは上海の狭い集合住宅に連れてゆかれた。夢梁が中心となって世話をしてくれた。ごってりした膏薬をあちこちに塗られ、上海語しか喋らない老婆が毎日包帯を取り替えた。飯に肉や野菜をぶっかけたものを喰わされる。夜の小便は樽のようなものの中にする。それにも慣れた。
 二週間ほど隠れていただろうか。葉子の父、成ケ沢が何度か尋ねてきた。老婆に義手の具合を自慢している。
 銀色の眼鏡をかけた公安の男は一度だけ部屋を尋ねた。
 私に資料を渡し、ここで読んでくれと言うと後は持ち帰った。
 暫くして、日本では現役の閣僚のふたりが辞職した。
 二三日の間、東方明珠広播電視塔の上空には銀色の戦闘機が低空で行ったり来たりしていた。Jian Ji 六型、ミグ一九戦闘機の中国版である。威嚇のつもりなのだろう。それも昼間だけだ。