■ 上海の新聞やテレビには電視塔の一件は報道されなかった。沢山のヘリが忙しく上下し、死んだり傷ついた中国兵を片づけていた。天安門の時と同じだ。なかったことにするのだろう。黒い煙が空に昇ってゆく。
北沢のハインドに命中したのは、アメリカ製のスティンガー・ミサイルだった。アフガンにも投入され、多くのヘリや航空機を撃墜し、戦局を一変させたと言われる赤外線誘導方式の地対空ミサイルである。肩にかけ、相手の軌跡を予測しながら発射するらしい。
発射直後にハインドが旋回したこと、フレアを放射したことが至近での爆発に繋がった。フレアとはアルミ箔の細かな断片のようなもので、赤外線の誘導を拡散し妨害する。無数のフレアが燃えながら落ちてくるのを私はみた。
スティンガーを発射したのは走羽だった。
彼は夢梁を小型無線機で呼び、対岸の黄浦公園に逃れた。髪の短い朝鮮国籍の男と共に、アフガンから搬入していた寅の子のミサイルを発射したのである。
走羽とは携帯電話で一度話した。今は香港でほとぼりを冷ましている。残された覚醒剤を捌くつもりでもあるのだろう。
沢山の人間が死んだ。
地下のドームで私に親指を立てた若い男は、北沢の手下に射殺された。頭の後ろから拳銃で撃たれると弾は前面に放出し、顔がわからなくなる。旧日本軍もそのようにして密偵を撃ったのだと葉子の父が言っていた。