不感帯 14.
 
 
 
■ 手元に岩波新書の「映画の理論」(著;岩崎昶)があって、奥付けを眺めると昭和31年7月に初版が出ていた。
 熱中症への注意を呼びかける区の防災課のアナウンスを遠く聴きながら、私は壊れかけたソファの上に横になってそれを眺めていた。
 アテンション・プリーズ、と英語の発音の方が流暢である。
 半世紀以上も前の本じゃないか、と正直侮ってもいたのだが、氷が溶けるのも知らずさらさらと読み耽ってしまう。新書であるから一時間もあれば済むのである。
 

 
■「映画は音楽を持っている」
「映画は絵である」(各章タイトル)
「文学は簡単にいうと観念を通じて形象を描き出すわれわれの心の上に成り立つ芸術であるし、映画はまず形象をつみかさねていって観念に到達する芸術なのである」(前掲;65頁)
 各章の扉の前に、誰かの言葉が引用されているところが古典的で、衒学的とも言えるのだが、そう捨てたものではなかった。何故かと言えば引用する者のセンスが問われるからだろう。例えばこうである。
「全ての芸術は音楽にむかってあこがれる。ウォーター・ペーター」(96頁)
 これは、今だとウォルター・ペイターと表記されるだろうか。
 西脇あたりを齧っていないと簡単に出てこない文脈だが、こうした幾層もの積み重ねが、本来何の役にも立たない教養というものではなかったか、と振り返ってなんということもなく反省したりするのである。
 岩崎のそれは、恐らくはその風貌からくるものだろうか、やや格好を付けたところもあって、それでいて僅かに線からはみ出ていて、要はあの時代の相当な知的エリートでありながら、まだ若い映画・活動屋の世界に足を踏み入れていったという自負と表向きの崩れのようなものがある。
 これは私が嗅いだ匂いであって理論的な根拠はない。
 
 
 
■ この「映画の理論」の中では、エイゼンシュタインの「戦艦ポチョムキン」の場面がかなり仔細に解説されている。118-119頁の間に折込付録ではないが、別紙が丁寧に折りたたまれて挟まっており、画面と音楽の小節、画面の長さ構成、動きの図表などが分析されていた。
 驚くというより呆れてもいたのだが、そう言えば昔の書籍にはこうした作りのものが時々あったような記憶もある。手が込んでいるというより熱意だろう。
 同書は後半1/3を除けばある種の古典になっている。
 懸命に自らの立ち位置を確認し、映画は芸術のひとつだと理論武装していこうとする若さと清々しさが、新書用の平易な文章の中に見て取れる。
 そこにあるのは、半世紀以上前の、これから全盛期を迎えようとしていた日本の映画というジャンルが抱えていた前向きの若々しさである。支えているのは岩崎の知識人としての教養の広さだったのかも知れない。
 がしかし、残り1/3は岩崎が自分の政治思想をそのまま吐露してしまっていて、映画表現は社会主義的リアリズムを目指すべきだと直裁に記しているのだから、今となってはかなり戸惑ってしまうのも事実だった。
 これも時代というもので、昭和31年(1956)と言えば冷戦真っ盛り。フルシチョフによる第一次スターリン批判が起こり、日本はようやく国際連合に加盟したばかりである。
 東宝争議後、岩崎は独立プロ新星映画社の代表に就任していた。