不良少年。
 
 
 
■ 端的に言って、大岡さんは不良少年だった。
 この場合の不良とは、繁華街で与太することではなく、どこかストイックな感受性の在り方の差配である。
 株屋をやっていた親爺からいい年をして金を貰う。残りは原稿で稼いだり。
 この辺り、後の山口瞳さんを思い出してもしまうのだが、あの当時スタンダールにかぶれたり、検閲を逃れたマルクスの「露土戦争」を読み耽っていたこと自体、なかなかなものだという気がするのは、それが一切無駄なお話だからである。
 

 
■ 生産と補給が続かないのだから、戦争は負けるよ。
 おまえもそう思うか。
 当時、そういうことが言い合えたのは余程親しい間柄だった。
 思春期や青年期の一時、例えば女の後始末を互いに頼めたかどうか。
 反省しているから頼むから戻ってきてくれ、と書いた手紙を、おまえならあいつは信頼しているから、と託されて届けた後の虚しさというか仕方なさは、畢竟、その底の同類意識に溶け込んでいく。
 どうだったと待ちわびている奴に報告する言葉を、何故俺はここで考えていなきゃならないんだろう。
 彼女は顔が違っている。
 
 
 
■ 所詮は同じ穴の狢。
 そういうことが言い合えるのは、相手が仮に文学報告会の理事だったとしても(世を渡る肩書きでゴンス)、社会からは本質的に余計者とされている文学や芸術のト、という自覚があったからだろうか。