ヘンボーする緑坂。
 
 
 
■ つげ義春さんに「ヨシボーの犯罪」という作品があったけれども、夢も希望もないですよ、というところを「夢もチボーも」と書くのがつげ流であった。
 つまりどんなことを描いていても、それがすなわち事実そのものという訳じゃないんですね。一回昇華というか、操作している。
 しかし皆コロリと騙される訳でして、こういうと語弊はあるが、つげさんというのは結構な女殺しではあったのだろうな、というところ。
 枯れたフリをするのは旨いけれども、作品に必ず入っているサービスカットというか肉感的な女性の絵柄は、あるいは交渉の仕方は、奥に相当なものがなければ描けないような気もするのです。
 例えば。
 と、具体例はクライアントの手前割愛。