め組の喧嘩。
■ 大川橋蔵と美空ひばりの(敬称略)の映画「大江戸喧嘩纏」(1957)は、いわゆる「め組の喧嘩」を題材に採っていた。
「め組の喧嘩」は、歌舞伎では「神明恵和合取組」(かみの めぐみ わごうの とりくみ)といい、明治23年に新富座で初演されている。
実際にあった火消しと相撲取りの喧嘩、それを題材にした恐らくは荒事と呼ばれる狂言の範疇だろうか。
舞台も品川、芝となかなかである。
■ 映画では、歌舞伎の世話物狂言をもとに、身分ある者が俗な世界に投げ出され苦労しつつも活躍をみせるという、いわゆる「貴種流離譚」を忍ばせていた。
順当にいけば1500石の家老の婿に入るところ、侍に嫌気がさし、鳶職人の世界に飛び込んでいく大川。そこで、ひばり演ずる娘との間にロマンスが生まれる。
大川橋蔵は「貴種流離譚」に属する役柄が似合っていた。
「新吾十番勝負」などはその典型で、名前が「葵新吾」なのであるからそのものずばりであり、吉宗の隠し子という設定が受けた。
これが犬将軍・綱吉の隠し子ということになれば、また微妙に味わいが違ってくるのが人の世である。
■ 理屈はともかく、資料的な部分もさておき、昭和32年というのはこうした映画が受けていた。
確か昭和30年代の雑誌「近代映画」の人気投票では、大川・美空ご両人はダントツ一位を占めている。いわゆる「マミー・トミーコンビ」の時代である。
プログラム・ピクチャーと言えばその通りなのだが、今眺めて面白くないかといえばそうではなく、東映のスター・システム、俳優の厚みが個々の場面に活きていた。
渋い大友柳太朗。金看板甚九郎を演じた薄田研二。
金看板っていう呼び名がいい。
め組の纏を屋根に付きたて、その向こうに炎が見えている場面などは無条件に格好いいのである。見せ場であります。
そこで旗立ててる暇あったら水運んだらいいのに、という疑問も薄く浮かぶ訳だけれども、それを言ったら芝居にならない。近衛連隊もバグ・パイプもいらなくなってしまう。
■ もうひとつ面白く思うのは、その頃の観客にとって「め組の喧嘩」はほとんど一般教養に近いものがあっただろうということである。
相撲取りと火消しの喧嘩。
詳しいことはわかんないが、そういう派手な奴が江戸の頃、あったらしくてね。そうともよ。こんどひばりちゃん演るんだって。
こうした常識またはある種の文化というのは、今日なかなか伝承されていないような気もするのである。