よるべなき個の時代 2.
 
 
 
■ 昨年の9月ごろである。
「排除型社会」について一連の緑坂を書いている。
 中にこうある。再掲してみる。
 
 ヤングの著にはこうあった。
 エリック・ホブスホームの『極端な時代』からの引用である。
 
「わたしたちの時代ほど<コミュニティ>という言葉が見境なく用いられ、意味を失った時代はない。
というのも、社会学的な意味でのコミュニティは、ここ十数年のうちに、もはや現実の生活でほとんどみられなくなったからである(1994,P.428)。
男性も女性も、自分が確実かつ永遠に所属できるような集団を求めて、世界をさまよっている(略)。
そしてかれらがみつけるのは、自分に何らかのアイデンティティを与えてくれる集団(アイデンティティ・グループ)である(略)。
人々は何らかのアイデンティティ・グループに所属することを選択するのだが、しかしその選択は次のような強い確信にもとづいている。
それは、当の個人にはまったく選択の余地はなく、そのグループに所属することは最初から決まっていたのだという確信である」(前掲:「排除型社会」:415-416頁)
 
 
 
■ ヤングの次の書籍では、いわゆるセレブと呼ばれる人たちの社会的役割についてが分析されていた。
 たとえばどのSNSを眺めても、はじめに追いかけるべき人物として各界の有名人が出てくる。
 そこを一切飛ばして先に進もうというのは、ネット暦10年以上の猛者か、20年以上になる海千山千だけだろうという気はする。