排除型社会 4.
■ 例えば、今後発売される多くの携帯は確実にスマート・フォンになっていく。
その機能は不要だと断っても、プリ・インストールされているソフトがほとんど半自動で登録を促し、いくつかのデバイスは半ば標準的プラット・フォームに近づく。
大衆化とはそういうものだが、その中で生まれていく文化的な現象の萌芽や歪みに近いものがあちこちにあって、個人的には好きにしてくださいと思うところもある。
■ 小型のPCを抱え、ヒルズ界隈のコーヒー屋で編集者ごっこをすることが流行った時期があった。つい数年前のことだ。
問題はバッテリーの駆動時間であり、持ち運びである。
ソーラ・パネルはついていない。
何故わざわざここでやるのだろう、という素朴な疑問も浮ぶのだが、マラソンをするのに電車に乗り継ぐひとも昔からいる。
それが今ではスマホに変わり、それ一台で全てを賄うのだとされる。
まあね。大体のことはできるけどね。
■ 新型の電子機器を持った男や女は、それを見せたがるものだ。
信号を待つ間、液晶に触り、それから腕時計をにらみつけては交差点を渡っていく彼がいて、情報化社会とは難儀なものナノダナ。