港は別れていくところ 2. 
 
 
 
■ 4月の頭くらいの夜、首都高は北へ向かうトラックで一杯だった。
 多分向かうのだろう。たずねた訳ではないけれども。
 バブルの頃にできたお台場にかかる橋はいつも風速数メートルと掲示板にある。
 9とか10近くになると、車がやや揺れる。
 遠くからのナンバーの、暗褐色のテールの辺りを眺めながら付いていくのだが、彼らは結構な速度で走っている。コンスタントにである。
 照明は全くない。
 時折、ヘリなどに注意を促すフラッシュが点滅し、そのときだけは神経が光る。 
 
 
 
■ 当時東京は水がなかった。
 柴又の寅さんのすぐ近くにあるところから何物かが出たらしく、乳幼児のための水を求める母親は、途方に暮れながら眼が吊りあがっている。
 地下鉄の駅近くだったろうか、行政が配るという水のボトルを求めて、仕事を早退したのか父親らしき男たちが並んでいた。地域性なのか、多分地方の平均年齢より5-10歳は高い。
 都心の晩婚は今に始まったことではないが、いわゆる配給だった。