翻訳された青。
 
 
 
■ 土着性という言葉がどうも嫌いで、安易に使わないようにしている。
 いつだったか神事に関わる本を読んでいると「シャーマニズム」という概念が西欧近代国家を基準にしていて、それよりもある文化を遅れたものとみなす認識が根底にあるという批判のあることを識った。
 ま、それはその通りで、ジェンダーからの組み換えが必要と言われれば、それはそれである。
 これは、縄文と弥生文化の相違というか、歴史的駆逐の過程にも重なっていて、考古学の解釈を含め、いわゆる歴史というのは勤めて政治的なものということだろう。
 
 
 
■ 恐山の作品を30ばかり掲載したのだが、ひといき入れて眺めると、驚く程その色や構図が緑坂である。
 お時間のある方は「甘く苦い島」のいくつかと見比べていただきたい。
 昔、カメラマンのある人に、あれはトリミングしてるんですかと尋ねられた。
 うん、周囲は削ることもあるけどと答えた。基本的にある部分だけを使うということはない。
 その方はもちろんプロだが、雑誌の仕事などでわざと余白を入れることはありますよね、それにしても、なんともいえん。と半分は呆れておられた。
 誉めているのか貶しているのか、さっぱり分からんが、互いに酔っていたのでそういうものである。