人生が恐山。
■ 梅原さんの前掲書「日本の深層」を捲ると、1頁目が地図になっている。
下北半島の真ん中の辺りに三角が記してあって、ここが恐山である。
いつだったか足抜けをした女郎衆のひとりが、そこから私に葉書を書くと言っていた。
■ 歴史を辿っていくと、例えば幕末の会津藩士がその辺りに流されたりする。
懲罰的な意味合いがあったことは明白だが、では今日、その敵役だった山縣翁の庭だった処では連日結婚式が行われている。
民主主義だからである。
半島から持ってきた石塔の手前で記念写真を撮るのだが、これもまた、ひとつの底流なのだと思うところもある。