エバンスは甘いわね。
■ という台詞が「夜の魚 一部」にある。
93-4年頃の妙齢中ほどが口にすると、少しばかり説得力もあった。
当時の下北沢というのは、覚えている方はにやりとするだろうが、都庁が移転する直前で、全身真っ黒の格好をした妙齢前半がたむろしていた。
時々、階段の辺りに落ちていたりする。
彼女たちは美大生だったり、劇団に所属していたりした。
駒場辺りの男たちが難しい本の薀蓄を語ったりするのだが、それはそれ。
手をかざすと何かいいことがあるという新興宗教がその辺りにあり、黄昏た美容師などが入会していたものである。
■ 当時、JAZZが好きだという妙齢はそう多くなかった。
もちろん今でもそうで、彼女たちは一時覗き見をするが、いずれ護国寺で降りた辺りの山形有朋の旧庭園で式をあげる。
庭自体は見事なものだが、そこにある庭石や灯篭は、我が国が植民地政策をとっていた頃の名残であった。統一性はない。
あるいは白金か恵比寿あたりのレストランで気勢をあげる。
向かい側がガソリンスタンドだったりして、若いカメラマンがこのカット、困りますよねと言っていたことを覚えている。