覚めても胸の騒ぐなりけり。
 
 
 
■ 今、私のいるところから一群の桜の枝がみえる。
 散策しているひとたちもいて、そこへ入ればいいのにとも思うが至らない。
 ここ数日のあいだなのだが、桜の白や桃色よりも、周辺にある緑の色と分量が、次第に多くなってきていることに気づく。
 枯れ枝だった大きな欅の先の辺りが、薄く煙ったようになって、次第に上を覆うのである。
 表参道の辺りを車で行き来すれば、もう空は半分しかない。
 
 
 
■ この浮き足立った感情を抑えるのにすこしばかり苦労する。
 このまま吉野へいこうとか、嵐山界隈でぼんやりしようとか。
 または海沿いにある桜の樹を捜しにいきたい、などと考える。
 いったら最後、暫くは風来である。
 悔しまぎれに、ソメイヨシノはどうも埃っぽくていけない。
 など、知ったようなことを言って、乾いた寿司を摘まむのである。