二九 斑雲
■ 私は走羽に真壁からの小切手を渡した。
足りないのではないかと尋ねると、正直いってそうだと言う。
これでは人間が雇えない、死んだり傷ついた場合に面倒をみる必要があるのだと説明した。
走羽は自らの組織のようなものを持っている。
上海は基本的に移民社会であった。頼る者のない移民、上海に流れ込んできた住民は、出身地域・省を中心に結束し、自らの権利を守ろうとした。
そうした集団は都市化が進むとともに相互扶助組織を形成する。それは次第に〈親分ー子分〉の関係を基礎としたヤクザ組織に変質してゆく。「青幇」の形成である。
中国近代にはもともと秘密結社の伝統があった。
清王朝は、満州族が漢民族を支配する形で形成された征服王朝だと言われている。漢民族の中には根深い反満感情が残った。それが秘密結社形成の土壌となった。
当時、中国本土には三つの結社があったとされ、東南型の結社の原型が青幇だった。一九三○年代に上海の青幇は全盛期をむかえる。大世界はその象徴でもあった。
「八十年代後半、上海には食い詰めたリューモンが流れ込みました。その頃の上海は今のような活気はなく、閉塞的な空気が漂っていました」
走羽が低い声で説明を始めた。
「開放政策からこの処急速に人口が増えつつあります。資本主義化の影響から、街の裏にもわたしのような者が必要になってきているのです」
説明するところの意味がよくわからなかった。
私は残金について、もうすこし待ってくれと頼んだ。
「まあ、いいでしょう」
私は北沢からの封筒を走羽にみせた。呼び出しがあったのだと説明した。
「なるほど、監視されている訳です。明日あたりまた連絡があるでしょう」
明日の午後迎えにくると言って走羽は部屋を出ていった。
私には彼の黒い上下が麻の中国服のようにみえた。
足音がしない。