一 外灘(バンド)
 
 
 
 
■ 対岸に背の高い塔がみえている。
 手前の低い森は次第に暗くなってきて、塔とその背後に直立している幾つもの高層ビルに灯りが点き始めた。
 全部にではない。未完成のものも随分あるからだ。
 低い日が翳った。雲が流れ、すこし風が吹いてきた。茶褐色の黄浦江はところどころ斑に色を変えている。
 埠頭のこちら側を眺めると、灰色に曇った旧租界地帯の建物が並んでいる。建物の高さはそれほどでもない。柱に飾りがあり、照明を浴びるとそれが複雑な影をつくっている。その隙間に赤や紫のネオンが増え始めた。
 私は船のデッキに立っていた。思ったよりも船体は小さく、混雑している印象はなかった。貨客船なのだろう、忙しくコンテナが積み込まれている。
 
 私は上海から日本に戻るところだった。
 空路ではなく、海を選ぼうと思ったのだ。
「海華号」は一万三千トン、上海と長崎を結んでいる。船は週の始め、その夕刻に上海の国際フェリーターミナルを出航し、二泊三日で長崎に着く。神戸や大阪、横浜にゆく航路もあるというが、長崎がふさわしく思える。
 対岸の背の高い塔にスポットが当たり始めた。
 ミラーボールのようなガラスで囲まれた球状のものが同じ太さで繋がっていて、その先は突然細くなっている。先端は赤と白で分けられ、突端からはテレビの電波が出ているのだという。
 東方明珠広播電視塔だ。
 四百六十メートル、東洋一の高さらしい。離れて眺めると、旧いサイエンスフィクションにでてくる挿し絵のようにも思える。
 私はすこし疲れていた。ここは何処なのだろうと考えていた。
 若い女がふたりデッキに立っている。片方は金色の髪をしている。原色の、恐らくはポリエステルの上着を着ていた。早口で何事かを話している。
 船が微かに揺れ始めた。手すりに振動が伝わり、その後甲板に広がった。
 重油の排気は、すっかり黒くなった空に隠れている。耳の傍で低い大きな音がした。出航の時間になったのだろう。
 私は階段を降り、船室に戻ろうとした。テープのドラの音が船内に流れている。