■ 生麦を過ぎた。製鉄所の煙突からガスの炎がでている。
車で通る時は気付かないが、はっきりと匂いがする。
車体の内側に躯を倒す形でコーナーを廻る。頬が引きつった。ガラスのゴーグルをしていても、風が直接当たるのだ。
S三○のZが先を走っている。
ワタナベのホイルに太いタイアを履き、マフラーも太い。
二八○○CCにはなっているだろう。懐かしいL型だ。
加速して並んだ。
一五○まで出した。
横浜駅の上で奴はシフト・ダウンする。
野太い排気音を巻き散らし、トンネルに下ってゆく。
いけるじゃないか。
私はなんとなく納得をしていた。これが最後になるのだ。
橋の方角に曲がらず、スタジアムで降りた。
中華街の自動販売機で缶を買い、ふたくち飲んだ。
倉庫の脇を過ぎ、本牧の港に近づく。
数年前まで埠頭には自由に入ることができた。
鉄の柵ができ、その前には守衛がいて夜になると閉鎖されてしまう。
私はB突堤から眺める夜の港が好きだった。
コンテナの上によじ登り、別れた女のことを考えたこともある。
朝になると、エンジンの塊のようなトレーラーが集まる。
奴等は直角のコーナーを僅かに逆ハンを切って曲がってくる。一万CCのディーゼルエンジンの加速は、並みのセダンではかなわなかった。
排気ブレーキを思い切り踏むと、女の背丈程あるタイアから白い煙が出ていた。
朝になると小さなトラックが来ていて、トレーラーのドライバー相手に朝飯を売っていた。その横に混ぜてもらいウドンをすすったこともある。
橋が出来る前だ。千葉から横浜が遠かった頃だ。
若い頃、私はただの馬鹿だった。
捨てきれないものが澱のように残っていて、それが何なのかよくわからない。
W1Sもそうだ。
程度の良いものを見つけ、あり金を叩いて数年前に買った。
十代の頃乗っていたからなのだが、私の肩にはまだ金属が入っている。六ヶ月病室の白い天井を眺めて過ごした。その後大学をやめた。
ゆっくりと単車を走らせる。
短い排気音が響いている。
C埠頭の重い鉄の柵は鍵が外れていた。車が入れるだけの隙間がある。
一度止まり、ザックから瓶を取り出してジャケットのポケットに入れた。
廻りを見渡し、埠頭の中に入った。