■ W1SはホンダのCBがでるまで国内最大の単車だった。
イギリスのBSAを手本にしたと言われるエンジンはOHVで、つまりカムシャフトがクランクのすぐ上にあり、プッシュ・ロッドを介してバルブを操作していた。五三馬力、最高速度一八五キロであるという。
実際はそれ程でもなく、一六○で一時間も走れば必ずと言っていい程焼き付きをおこした。こいつも一度ピストンを焦がしている。その時にロッドを細いものに替え、カムを削り直し、圧縮をあげてやった。バルブも磨く。
オイル・クーラーをつけ、貧弱なドラム・ブレーキはヤマハの古いレーサー、TZのドラムを移植した。リアのショックは七十年代のカワサキの四気筒、ザッパーと呼ばれた六五○のものがピタリと収まった。
どうした訳か、オイルはカストロールの相性が良く、五○○キロで交換してやると、タコ・メーターの針は赤い部分を嬉しそうに揺れていた。
実測で二○○は出ただろう。首都高速の内廻りでBMWのK一○○とバトルして負けはしなかった。
私はスロットを捻った。二本のキャプトン・マフラーから出る排気音は、ハーレーのそれよりもメリハリがあり、くぐもっている。
スロットの下にあるネジを捻り、開度を一定に保つ。流れたガソリンはすでに蒸発していた。煙草を吸いながら、ザックをスプリングのシートに括り付け、ナンバーにガムテープを張った。