■ その頃、私はまだ半ズボンを履いていた。
一九六七年十月八日、当時の首相による東南アジア訪問が企図された。
そこには焦土作戦が展開されていたベトナムをも含んでいる。それに抗議していわゆる新左翼系学生が羽田に集結し、機動隊と衝突したのだった。多くの逮捕者を出し、ひとりの学生が死んだのだという。
風化しつつあるが半ば伝説のようになっているその事件は、長ずるにつれ私も何度か耳にしたことがあった。
「そう、その時捕まった人達は普通に進学したり就職できなかったらしいの。父には義理を感じているようで、わたしが高校の頃、家にきて酔いながらそのことをくどいくらい話していたわ」
「君の親父さんは何をしているんだ」
「小さな会社をやってるわ」
「吉川は」
「赤坂にある大きな商社にいるのよ」
亡霊に追いかけられているような気もする。その亡霊には実体があって、忘れた頃にかたちを変え執拗に甦ってくる。私は鞄を持ち、部屋を出ようとした。
「場所は何処なの」
「下北沢」
「カマロじゃ無理だわ」
確かにそうだ。曲がりきれない。葉子は私に車の鍵を渡した。
「銃はダッシュボードじゃなくシートの下に置いて」
下まで降りると銀色のBMWがあった。ふたつ前の型で、放射線状のホイルを履いている。
「カマロは親父さんのものか」
「すこしイジってあるみたい」
「馬鹿げてるよな」
「そうね」