浅い夢 2.
■ 中間層が痩せてゆく、という時代になって久しい。
例えばヒルズ界隈で働く妙齢や三十代、あるいはその上の世代は、ほとんど全て中途採用である。どういった雇用形態なのか、ほぼ年間契約に近いものだが、そのうちの八割は何時の間にか社に出てこなくなってしまうという。
携帯電話を変える、というのはこうした時で、今までの人間関係をリセットしようと試みる。
■ あるとき、そうした彼らと酒を嘗めることがあった。
話すことは内輪のことだけで、SNSやその他が不可欠のツールである。
「いじられキャラ」などと口にする。
アクセスの稼げるカリスマをどうやって捜してくるか、などと半ば本気で言うところもあって、なるほどその文法の中にいるのかと納得をした。
広告の世界、特に制作の現場では、ある日突然いなくなるということは半ば日常的なことである。修行して一人前になる、などという徒弟制度の伝統があるからかも知れない。職人の世界ではそれもまた理解できることだろう。
ITの世界もそれに近い。
が、根本的に違うのは、そこで修行をするというような発想がないことで、簡単に言えば使い捨てであることを本人も廻りも薄く自覚している。
それが若者だけではなく、三十代にも及んでいるのが今という時ではなかろうか。
そして、例えば名の通ったメーカーやその他でも、基本的にそういった流れは通低してる。大体、持株会社になって以来、帰るところがない。
■ その中で何をすべきかというと、次第にスタンド・プレーが目立つようになる。
例えばブログを積極的に書いているひとの何割かは、個人の広告塔の役を果たしており、それはそれで問題はない筈なのだが、眺めていると次第に論がオクターブ高くなってゆくのが分かる。
ほとんど調べもせず、短期的な時間の中だけで何かを言おうとすれば、畢竟分かりやすい二極論にならざるを得ず、それは一定の支持を受ける。
ブログから本になる、あるいは何処かのサイトに記事を書く。
これらは、ほぼ人脈でなされるものだが、勉強会やセミナーという名の下で煩雑な名刺交換が繰り返されてゆく。その名刺は一年ほどが有効期間である。来年、彼も彼女もそこにいるかどうかが分からない。