パーミッション 704.
 
 
 
■ ひとつ原稿をしあげてから、CGIの設定をしていた。
 FTPのソフトをいくつか使う。厄介であるがやむをえない。
 文章もデザインも、また今こうして眺めているこの画面も、実は地味な技術の積み重ねの上に成り立っているもので、最後のところを詰めるか詰めないかで出来が随分と違ってくる。
 私はデザインに電卓を使うが、そういうと「黄金分割ですね」などと若いひとに言われ、唸ってしまうことが何度かあった。
 そればかりでもないんだな。
 
 
 
■「零戦燃ゆ」という名著がある。
 ジャーナリストの柳田邦夫さんが書かれたものだ(文春文庫版)。
 遅ればせながら、ぽつぽつと読み始めていた。
 日米の技術に対する姿勢の違いとか、情報収集の重要性とか、様々に指摘されてきた訳だが、端的に言えば「負け戦の研究」として読むことも可能かと思う。
 何故負けてゆくのか、ということが時系列に従って淡々と書かれている。
 
__
 
 
■ デザインであれなんであれ、何処かで見切らなければ先に進めないところがある。
 日本という国は資源が乏しく、また条約などで制約を受けていたものだから、例えば海軍の艦隊にしても、凝りに凝ったものを建造していた。
 簡単に言えば、細い船に山のように兵装を積んだりした。
 数が揃えられないのであれば、個々の艦が優秀であらんとしたのである。
 結果、あたかも日本刀のように美しい艦ができあがる。
 が、友鶴事件(昭和9年)、第四艦隊事件(昭和10年)などでその問題が露呈してしまう。トップヘビーでひっくり返ったり、船体が折れたりもして、当時「復元力」という言葉は流行語にもなった。
 床の間の飾り物であるならそれでいいのだが、実際の戦闘では消耗することが前提である。
 例えば、性能をやや落とした潜水艦、伊号乙型改が、大戦期全潜水艦の成果の約半分近くを占めている事実は、戦争はそれほど美的ではないということを示唆している。