雨夜 2.
 
 
 
■ 別件の〆切をひとつ終わらせ、ぐずらぐずらとデザインを試みていた。
 バナーである。
 置く場所があまり凝ったところではないので、比較的あっさりと作る。
 色をどうするかを暫く迷ったが、他の環境で眺めると大差がないと聞いて少しがっかりもする。
 多くの会社で使っている液晶モニターの色再現性は、ま、そんなものだというところか。
 
 
 
■ 最近、昭和初期の歴史と風俗に関わる本をぱらぱらと眺めている。
 NYモノと並んでであるが、いったりきたりをしているような按配で、時々頭が混乱する。
 その隙間に雑誌「丸」の古いものを風呂の中で読む。
「丸」というのは、旧日本軍と自衛隊マニア御用達の雑誌であるが、「軍事研究」よりは一般的である。いぶし銀のような読み応えがあって、とりわけ最後の長編手記が面白い。
 勇ましいものはほとんどなく、その多くが負け戦に関わる体験記である。
 インパール、白菊特攻。ほぼ全てが沈没した駆逐艦の記録。
 山本七平さんの「私の中の日本軍」を、市井の人が回想したものにも似て、視線は恣意的で主観的なのだが、それだけ等身大でもあった。
 大陸で女を買ったとか、都合の悪いことは大抵省かれている。
「俘虜記」の中に出てくる下士官や兵卒の様相を、彼らの立場から彼らの言葉で書いたものだとも言える。
 こう書くといささか嫌味ではあるが、やはり大岡昇平さんは知識人なのである。
 
 
 
■ だが、死体の描写は「野火」(大岡昇平)に出てくるものとほぼ同一である。
 まだ生きているうちに蛆が沸く。
 まず眼から溶けてゆき、最後は水のようになってゆく。
 と、南方で戦った兵士は必ず書いていた。
 ガ島こと、ガタルカナル島で切り込みの夜襲をかけた際、有名な海岸での全滅写真があるが、米軍がキャンプでテニスをしていたから彼らはたるんでいる、と認識して重火器に突っ込んでゆく様も、残る証言として記録されている。
 辻政信という参謀がいたが、ガ島には彼も関わっていた。
 何が言いたいかというと、多すぎてまとまらない。
 ただ、戦争というのはリアルなもので、本質は死体と、亢進した性欲ではないかと思うところもある。