暗闇坂のぼる。
 
 
 
■ せんだって部屋のセントラルのフィルターを掃除していたら、掃除機の先につけるアタッチメントがいかれた。
 どこかに100円ショップはないものかと漠然としていたが、麻布十番の中にあることを思い出し、地下鉄の出口のところを曲がった。
 十番というと、今はヒルズがあるので、どちらかというとそういう傾向である。
 そこで飯を喰い、坂道のブティックに新作を見にゆくというのが、30代40代前半の独特なステータスになっている。
 
 
 
■「ぼぎちん」という小説があった。
 解説は福田和也氏が書いている。
 バブル期というものが、例えばひとりの女性にとってどういうものだったかということをなぞったそれは、金とSEXの三昧の背後に、おかしな学歴信仰があったことを記録していた。小説に出てくる舞台は十番の生活である。
 主人公は男と別れNYにゆく。そこでも同じことを繰り返しながら、次第に何をすべきかを模索してゆく。
 ある種の教養小説でもあるのだが、事態はそう旨くはゆかない。
 これは男にも言えることだが、どういう異性関係を続けていたかということは、半ば身体に染み込んでいる部分がある。
 昔の彼が、BMに乗っていたのよ、と言われた時、貝の味噌汁に砂が残っていたような気になることもあるからだ。
 その時彼女は、とても不思議な顔をしている。
 
 
 
■ 十番のカフェで、マーク・ポスターの「情報様式論」の続きを読もうとすることは難しい。バルトであっても同じことで、フーコーならまだなんとかだろうか。
 私は掃除機の先を買い、洗濯ネットを4つほど求め、細い暗闇坂を車で昇っていった。 韓国大使館の前を下ると、今日は日の丸の方々の総出は予定されてないらしく、警邏の警官もその背中が緩やかである。