そこにいるだけのあいだ。
■ 〆切が重なって、昨夜は矩形のスペースにうつぶせになっていた。
秋だというのに寝汗をかく。
夜半もそもそと仕事場に入り「甘く苦い島」のジャンル分けの作業を進める。
いくつもある制約の中で、コピーと画像とのバランスがなかなか取れないでいた。
■ 作品を作るとかまとめるというような時には、半ば窯に篭るような時がある。
かつてEPSONの担当者が取材にきた時、出来上がったプレスには「アトリエ」とか書かれていて面映かったことがある。
スタジオであれ、アトリエであれ、ともかく作業をする空間ということであろう。
当時は高輪にいて、穴蔵のような仕事場だった。今は眼下に日本庭園らしきものが見えるのだが、時々催し物のようなものを開いていて夜までうるさい。
何時だったかおかしな夢をみたことがある。
長細い家の突き当たりに仕事場があって、その向こうは崖のある砂浜である。
砂浜の先には当然海があって、夢のなかで成程、海沿いの土地に暮らすのだろうかと考えた。
風が強く、サッシががたがたと揺れている。これでは車も痛むだろうなと思いながら、どことなく心細い気分になっていたことを覚えている。
■ ネットなのだから何処にいても仕事になるというのは唯の風説で、実際はそのようなことはない。打ち合わせで都心に出る機会というのはかなりある。
「夜の魚 一部」に出てくる東金のリゾート・マンションなども、隠れ家としてはいいのだろうが、あくまで隠れ家としてのことだ。
私は生きているのが嫌になると、川沿いの傾いた家とか低層の空きが目立つビルなどに逃げ込みたくなる癖があって困る。
麻布界隈の急な坂道にも、そうしたビルというか一軒家があってこころ惹かれた。広尾駅まで山をふたつばかり超える。歩くのはつらい。
そこで何をしているつもりかというと、それがよく分からないでいた。