夢のあと雲。
 
 
 
■ 名月と言われる頃、それは九月だが、私は月をみあげた。
 雲があり、流れていて、どこへゆくのだろうとこころ急いだ。
 夏の余韻があり、次が定まらない。
 そんな季節のことであろうと思われる。
 
 
 
■ ひととひとが集まる場があって、暫く中に入ってゆくと個々のひとの人生のかたちが見えてきたように思えることがある。
 見えたかもしれない、という思いあがりなのだが、残念なことに既に修正はきかない。 それは声であり、顔つきであり、全体から滲む個性と時間の蓄積である。
 あるところで綺麗に歳をとるひとがいて、一方ですこし正視できないものもあったりする。
 どちらへ流れるかはそのときそのときの、ほぼ痩せ我慢であるとは経験上知っているのだが、なんということだろうなあ、手持ちのカードはいくつある。