「呑んべ安」もしくは、
      それだけじゃないからね。
 
 
 
■ 坂の途中に泉岳寺という寺があって、そこにはかの有名な忠臣蔵、「赤穂浪士」の墓がある。
 近くに住んで随分になるのに、まだ墓そのものを眺めたことはない。
 普段は、門前にトラックの魚屋さんとかが出ている。時々観光バスなんかも停まっている。
 去年の今ごろだったか、その辺りが妙に騒がしいのでなんだろうと出てみると、丁度討ち入りの日にあたっていた。
 仕方なくカメラをぶら下げ人ごみを歩いてみると、帽子をかぶったご老人が無心にたこ焼を食べていた。バスのガイドさんが、旗を振っている。
 
 
 
■ 時は元禄十四年(1701年)三月、東山天皇の代で、時の将軍は五代綱吉。
 と、今最低限度の説明をしようと思ったが、急に面倒になったのでやめる。沢山本が出ていますから、そちらの方を読んでください。
 丁度今時分だったろうか、深夜ぼんやり起きていると、大映とか松竹とかの「忠臣蔵」が再放送になっていた。大体、「松の廊下」辺りから始まって、「殿、殿中でゴザル」と後ろから羽交い締めにされたりする。その後、無念の切腹。もう一度見たいと思っても、なかなかビデオにはなっていないようだ。
 市川雷蔵なんかも若い頃、浅野匠頭長矩の役をやっていたように覚えている。
 
 
 
■ 吉行さんと黒鉄ヒロシさんが、「堀部安兵衛」という本を出していて、先ほど本棚のようなところから落ちてきた(集英社文庫:1980)。全部読み通すのはくたびれるが、最後の対談に面白いことが書いてある。
 内蔵助が江戸に出てきた時に、比丘尼遊びをする。それはまあ、変わったものを試してみようかという、ワビサビのようなものだったのではないかという吉行さんの筆に対して、黒鉄さんは、いや、やっぱりケチだったんじゃないでしょうかと執拗に食い下がる。 
 
黒鉄:内蔵助は討ち入りの日も比丘尼遊びをしているという説がありますけど、そんな切羽詰まったところで女を買いにゆくとしたら、僕なら一世一代のを買うと思うんですが。 
吉行:討ち入りの日じゃなかったとおもうがね。比丘尼にすごくいい女がいたんじゃないの。
黒鉄:ですが、比丘尼というのは変態趣味でしょう。きっとご面相も立ち居振る舞いも悪いわけで、いい女であれば比丘尼なんかにならなくて済んだわけで。
吉行:女はそれだけじゃないからね。相性というものがある。
 
 
 
■ 比丘尼とは何かというと、尼さんの格好をした下級娼婦である。
 当然、頭を剃っていないともさもさ生えてくることになる。
 江戸時代というのは、結構いろいろあって、「江戸の遊女」という本にはその辺りのことがアカデミックに載っていた。今手元にないので著者の先生の名が思い出せない。確か東大の法制史の先生であった。
 尊敬すべきその名著によると、遊女というか女郎というのは、吉原だけで限定的に営業が許されていて、品川宿のそれなどは、飯盛女と分類するのが正しいのだという。宿屋一軒につき飯盛り何人と規定され、当然、取り締まりなども繰り返される。
 取り締まりを逃れる術のひとつとして、比丘尼などが派生したのかも知れない。この辺アイマイ。
 
 フランキー堺と石原裕次郎が出演した日活映画に、「幕末太陽伝」という傑作があったが、その中に当時の飯盛り女郎の風俗が描かれていた。
 しかし、なんでこの文章が、「呑んべ安」なのか、師走になると忙しい。
 
 
○昔坂 97年の界隈。元は品川の花魁の画像付。