夜の魚 二部 外灘。
 
 
 
■ 夜の魚 二部を掲載することにした。
 よるのうお、と読む。
 外灘はバンドと一般には呼ばれるが、中国名ではワイタンである。
 半ば踊るように発音する。
 私はと言えば、バンド、という呼び名にならおうという気がしている。
 かつて横浜にはバンド・ホテルがあり、進駐軍の下士官が女を引っ張り込んでいたからだ。
 夜の魚 一部ではそこが舞台になっていた。
 
 
 
■ この二部は、どちらかといえば「軽ハードボイルド」の範疇に入るものだろう。
 そういった分類はもともと意味のないものなのだが、中ば80年代後半から90年代にかけての香港映画の雰囲気だと思っていただきたい。
 何処か荒唐無稽であるという。
 一部に比べ文章の密度などは乏しいが、上海という都市を舞台に、嘘850くらいを並べてみたという按配である。
 初稿は94年とか、その辺りだと記憶している。正確には覚えていないのだが、それもまた良いだろうと思っている。読売新聞社が運営する、yominet の文芸フォーラムが舞台である。
 
 
 
■ 掲載を迷っていたのは、作家の小嵐先生に、作品ラストの辺りをやや呆れられていたからであった。
 一部のラストシーンを望外に褒めていただいていたものだから、成程そういうものかと躊躇う気分が残っていたのである。先輩の言うことは残る。
 ところが、つい先日、私は昼間の厄介(これは仕事を意味する)で、再び上海を訪れた。この作品を書いてから10年少しが過ぎている。
 それについては、後に緑坂で続けてゆくものだろうが、結論として「魔都上海」の印象はそう間違ってはいないということに気がついた。
 風俗は変わっても、その本質的な部分は原型を保っている。
 勿論、今書けばまた違う作品になるのだろう。
 より厚みのある描写も可能かという根拠のない自信もない訳ではない。
 が、それはそれで良いのだという気がしている。
「時分の花」という言葉が能の世界にはあるというが、その年齢でなければ書けないものは確かにあった。
 恥ずかしいという。嘘を書いているという。
 いずれにしろ、小説というのは嘘を固めたものである。
 そして、緑坂全体もそうなのだから仕方がない。