To The End Of The World.
 
 
 
■「夜の魚」一部の掲載が終わった。
 一部に関しては、多分、95年の界隈、その辺りに脱稿した覚えがある。
 調べればいいのだが、億劫なのでやめにする。
 95年界隈、というのは、vol.105 に出てくる「パット・メセニーの曲」というのが、95年のアルバム「WE LIVE HERE」の3曲目を想定していたからである。
 いかにもの曲名なのだが、出だしの暗さから次第に曲想が高まってゆくあいだ、私は旧型のドイツ車で、何度か湾岸を意味なく行き来していた。
 
 
 
■ その時の、確かDOHCのエンジン音はなんとなく覚えている。
 当時の私は、自分や周囲が一応信用していたものがそうではなく、内側から崩壊してゆく過程の真ん中にいた。自分自身も追い込まれていたが、それよりも一歩外に出る勇気のようなものを試されていた。
 当たり前のことだが、外は寒く、この先どうなるか分からず、それでいて妙に明るい昼と夜であったように覚えている。
 どこか、人を喰ったかのように意地を通さねばやっていられない。
 女が、これからどうするの、と尋ねても、知るかと答えている。
 別の女を作ったりもした。
 
 
 
■ 毛を毟られた鶏のようになっていた時期というのは何度もある。
 俄かには信じられないことだが、例えば当時の私は、銀座通りを歩くことができないでいた。
 ここは自分などが来る場所ではない、と考えていたのである。
 単に眩しかったのだろう。
 書けなくなると、夜中の埠頭などに忍び込んだ。
 まだ、トラック相手のラーメン屋などが残っていた頃で、屈強な体躯の男たちの間に混じり、明け方近く、細い麺をすすっていた。
 馴染みにまではならない。