待っている。vol.2
 
 
 
■ 93年くらいの緑坂をひっぱってきた。
 たいして変わりのないことを書いている。
 変わったのはこちらの歳と、廻りの環境。
 それからと指を折ると、途中で分からなくもなる。
 
 
 
■「待っている」という題は、チャンドラーの短編の中にある。
「人生は一度きりなのに、あやまちは何度でも繰り返せるものなのね」
 という台詞があって、今ここで空で言えるのだから、何度も読んだということだ。
 本来それは男の台詞なのだが、妙齢に言わせるところに甘さがあって、そしてそれは悪いことではない。
 
 
 
■ 長いこと私は、トイレの壁にキングコングの絵葉書を貼っていた。
 用を足す度にそれを眺め、何事かを思うのが常だった。
 高輪にある古いビルで、向こうに東京タワーの朱色を置きながら、愚かな、そして今考えるとやや無頼な30代を過ごした。
 ほぼ明日などは知れず、日々吐き気がしそうな仕事に通い、休日には旧型のドイツ車で男や女の部屋に出かけた。
「夜の魚」は主にその時代に書かれたものだったが、思うところあって単行本にはしなかった。なんだか虚しいと思えたからだろう。
 それが何故だったのか、はっきりとは言えないが、そちらの道から逸れた結果、今はこの辺りにうろついてもいる。