マルサの女。
 
 
 
■ 結局一時間ばかり横になっただけで、そのまま車を出した。
 後部座席に放ってある布の鞄の中から適当にカセットを取り出し、目黒から首都高に乗る。東名に入ると、廻りに白いものが残っている。
 昨日降ったみぞれは、こちらでは雪になっていたのだ。
 
 
 
■ 伊丹監督の出世作「マルサの女」は1987年に公開された。
 音楽は本多俊之さん。元々はJAZZの血が濃い。
 私はどういう訳か、首都高に乗って気合を入れねばならない時、この映画の音楽をかける。つまり、マルサが踏み込む時その背後に流れていたような按配で、この場合かたちから入る仕事モードと言っていい。
 本来は夏の重い空気の中でサックスが鳴り、ドラムが響くみたいなものなのであるが、二月の遅い雪の中をゆるゆる移動するのにも、そう捨てたものではないと勝手に思っていた。
 
 
 
■ 87年というと、バブル真っ盛りの頃合である。
 伊丹監督はその後「あげまん」「ミンボーの女」など、社会性ある題材をどこかユーモラスにシニカルに表現し、途中実際に暴漢に切りつけられたりした。
 最後の姿はやや謎であるが、掘り返しても仕方のないこともあるだろう。
 もし監督が今の時代に何を撮っていただろうと考えるに、まさしくIT企業の盛衰を描いていたかも知れないと私は思うことがある。
 全てはネットと技術に集約されると考える、ある種戯画化された登場人物がいて、それに憧れる若者や自分は先端であると自負する勤め人が廻りをとりまく。
 当時は株と土地だったが、今はそれが何に変わったのか。