二月。
 
 
 
■ 文章を書くということが、どこか下品なものに思えていた。
 文章に限らず、どの表現もそうなのだが、内在的に持っているある種いかがわしさにすこし食傷気味だったのかも知れない。
 そうこうしていると、70年代のヒーロー、萩原健一が逮捕される。
「傷だらけの天使」の真似をして、ヘッドホンをかけながら飯を食べていた10代を思い出す。
 男が歳を取るというのは、これでいて結構難しい。
 
 
 
■「知の二枚目」とでもいうべき方が主催する編集の学校が、あるIT企業の子会社になった。私もその黎明期、そこのセンセだったものだから、なんとも言えない気分でいた。
 誤解を恐れずに言えば、編集というキーワードで世の中や今までの歴史そのものを再構築しようとするのは、試みとしては分かるのだが、どこか無理があったような気がしている。
 ある種衒学的な表現が、一定の階層の女性達に受けた。
 旦那は社食、奥様は美術館というような、やんごとなき高学歴の方々である。
 会合の仕切り、撮影、それをまた再利用など、アウトプットの仕方には学ぶべきものも多かったのだが、そういうものが一定部分ショッキングだったのはやはり70年代から80年代初めにかけてであろうかという気もする。
 すれっからしの男どもからすると、やや手の内が見えてしまってもいて、あざとさの手前にも見えることも、ままあった。
 さわやかに笑う姿だけではなく、原稿の山の中で憮然とした顔をしたその人の姿が一枚でもあれば、と何度か廻りに口にしたこともあるが、渦中にいると声は遠い。