枯れたOSと人魚。
 
 
 
■ ノートPCをあれこれしていて、久しぶりに分解などしていた。
 エアでファンの辺りを吹く。
 積年の埃が部屋に舞う。
 PCそのものに凝る時期というのは誰にでもあるが、私も例外ではなく、いい年をしてクロック・アップなどをして遊んでいた。NT4.0の時代である。
 一通りやると大体は飽きるもので、安定性の方向に向かう。CPUよりもメモリの量。
 お金をかける部分がすこし変わってくる。
 この辺り性技にも似て、普段よく使うのは数種である。
 なるべくなんにもしたくない。
 
 
 
■ それにしても、一回は凝る時期を過ぎないとダメなようで、PCの世界には簡単に言えばツボのようなものがあると思う。キーボードを水で洗ったりアルコールで拭いたり。
 手間はかかるけれども、チェックディスクを毎回かけ、クラスタの履修をしてから起動する。結局はDOSの時代からの延長線上にあるからで、ある日突然デジタルになってきた訳でもない。今でもパーティションを切るのに、古いフロッピーを引っ張り出すこともあったりする。
 昔の名前で出ています、という風情であった。