淋しいままでいればよかったんだ。
 
 
 
■ 青瓶 2424から。
 これも原型は98年の yominet.
 その緑坂に、古いフォードか何かの画像を大幅に加工し、つまり二次著作物化したものを付与して掲載していた。
 
 
 
■「赤い風」では、模造真珠がひとつの宝物となって登場する。
 この辺りは、ハメットの「マルタの鷹」の形式を踏まえている.
 男達の空想と夢、そして大金を凝縮したブロンズの鷹。プロットの狂言回しと言えば分かりやすいだろうか。
「赤い風」では模造真珠が恋の証となって登場する。
 やや緩やかで頼りなく、ふわふわと白檀の香水をつけているような若い人妻の恋である。

「わたしはジョゼフを雇ったの。そのころ主人はアルゼンチンにいてね。
とてもさみしかったの」
「淋しいままでいればよかったんだ」と私は言った。
(チャンドラー:前掲:145頁)
 
 
 
■ マーロウと長編、「長いお別れ」に登場するテリー・レノックスとの関係にはホモ・セクショナルなものが潜んでいる、という講演がアメリカでされたことがあった。80年代の始めである。
 当然、チャンドラリアンからは猛烈な非難を浴びる。
 男の中の男、ヒーローを貶めるものだということなのだろう。
 マーロウというと一般にはハンフリー・ボガートなどの印象が強く、タフで非情で卑しい街をそうでもなく歩く、現代の騎士物語のようなイメージが強い。
 確かにそういったタフな側面もあるのだろうが、どちらかと言えば何時までも大人になりきれない、僅かにはみ出たお坊ちゃまが、無鉄砲に街を歩きまわっているといった印象が私には強い。特に初期のものではそうである。
 
 
 
■「赤い風」において、模造の真珠をマーロウはわざわざ取り替えてやる。
 なんのためかというと、彼女の過ぎた恋の名誉のためである。
 深読みをすれば、死んでしまった彼女の恋人に対する薄い友情のようなものかも知れない。
 ラストシーンの風景描写は美しい。
 やや書きすぎている部分もあるが、これはこうした物語のひとつの典型的な終わり方である。
 いい歳をして背広を着た探偵が、海へと飛ばし、他人の恋の結末をつける。
 長いが引用してみる。
 
「彼女のほうを振り返りもせずに店をでると、車に乗りこみ、サンセット大通りを西へずっとコースト・ハイウェイへむかった。途中、いたるところに、熱風で焼かれて花も葉も黒くしおれてしまった庭が眼についた。
 だが、海はいつに変わらず、さわやかでもの憂げだった。私はマリブの近くまでいって車をとめ、どこかの家の針金の柵でかこわれた大きな岩に腰をおろした(略)。
 私は大声でさけんだ。
「ありきたりの女蕩し、スタン・フィリップス氏の霊にささげる――」
 私は彼女の真珠を一粒づつ、海面へ、波間に浮かんでいる鴎の群れにむかって投げた。
 真珠はちいさな飛沫をあげ、鴎たちは水から舞いたって、飛沫にとびかかっていった」(レイモンド・チャンドラー「赤い風」稲葉明雄訳:創元推理:185-186頁)