廃墟論 3.
 
 
 
■ ウッドワードは「廃墟論」の後記に、以下のように書いている。
 
 私は本書を、ひとりの真面目な建築史家として書きはじめた。しかしやがて、建築家はその考え方において、画家のあとを二○年ほど遅れて歩いていることに気がついた。そした画家はまた画家で、彼らのアイディアを作家から得ているのではないかと思った。
(「廃墟論」青土社:クリストファー・ウッドワード著:森夏樹訳:364頁)
 
 この指摘が、当を得たものであるかはともかく、いくつかのジャンルがいずれ符合してゆくということは、人間の歴史やその上澄みである意識が緩やかに流れるものである以上、ある意味で当たり前のことかも知れない。
 
 
 
■ 私は、拙作「甘く苦い島」をもう一度眺めてみた。
 9.11 以前の、まだ世界の構造が変わらなかった時代のNYではあるのだが、薄い予兆のようなものを感じていたことを覚えている。それは微妙な違和感に似ていた。
 分かりやすく言えば、華やかだと言われている都会の、もうひとつの部分だろうか。
 被写体として掘り下げるまでもなく、そこには薄っすらとした哀しみのようなものがある。
 そしてそれは、今東京の都心にいて、毎日眺めているものへの視線と、そう変わりがないものだという気もしている。