あらかじめの価値。
 
 
 
■ 市民社会と文化、という捉え方がある。
 それは相対立するもので、芸術家はいわゆる市民社会から迫害を受ける、という二元論を基礎にしている。これは厳格な意味では今でも正しい。
 だが、社会はもうすこし複雑になっている。
 
 
 
■ こういった古典的な芸術観というのは、例えば「トニオ・クレーゲル」などに最良の形で残っていた。
 それは、そうしなければ自らの生理や感覚がこの社会で維持できない、という切羽詰まった段階でのお話で、青年期における社会への適応の過程を示唆してもいる。
 金子光晴さんの詩に「おいら、後ろ向きのおっとせい」というものがあった。
 いい歳をして、俺は芸術家だからいいんだもんね、と強がっているのはお馬鹿である。
 あらかじめの価値を、一回裏返しにしたに過ぎない。
 実の母親が亡くなった時、それを原稿のネタにするのは構わないが、君はその時に泣いたのかということを知りたい。
 他人に対する共感性を欠いたまま、適応だけは見事にうまい人格の状態というのは確かにあって、「自己愛型境界性人格障害」とアメリカでは名付けられている。