脱力、ラスタマン。
 
 
 
■ 私は簡単に「文化」という人たちをあまり信用していない。
 町おこしであれ、デジタルの平面であれ、いわゆるかぎ括弧のついた文化というのは、何処かに嘘があるような気がしてならない。
 山口瞳さんだったと思うが、「自分は即物的な人間なので、例えば人が自殺したりする場合には、畢竟金か女の問題ではないかと疑う癖がついている」という趣旨のことを言われていたように記憶している。三島氏が自決した時のことだ。
 
 
 
■ 民俗学や社会学をすこしかじった方々にはお分かりだと思うが、例えば「未開の地」という概念は既にして差別であると言われる。
 手塚治虫さんなどはその辺りで一部から批判を浴びているけれども、歴史的にはそのようなものであって、後から批判することは容易い。
 例えば台湾の、日本人の集落を襲った事件などというものもあって、現実問題として首を狩る生活や文化というものは存在していた。
 
 
 
■ 今は夏であるから、例えば「まったりと」「脱力して」、その場をしのいでゆくというような店があちこちに散見する。
 都心で言えば恵比寿や代官山、あるいは六本木にあるアジアン・テイストのクラブみたいなものだろうか。
 そういう店はビールが高い。
 加えて、接客がトモダチに接するような姿勢である。
 トモダチから金を取るのは仁義に反するので、私は友達ごっこだと思うのだが、そこにいるラスタマン達は、脱力しながら避妊もしていた。