水の祭の雨は白いよ 4.
 
 
 
■ 再び再掲してみる。
 

 
■ 品川、南の天王祭のクライマックスは海中渡御・御輿洗いである。
 この画像は、「江戸名所図絵」の一部分、それに加工と彩色を加えた。
 ファイルサイズの関係で輪郭が出ない。また、前掲書には「御輿」の表記がなされている。
 文献によれば、洲崎の漁師たちが天王の神輿をかつぎ、その年の魚漁を祈って海中を通過さしむとある。
 由来は諸説あって定かではない。
 いずれにせよ、御神面のお里がえりという意味があるという。
 この御神面には、「肉付きの面」、つまり付けてみたら取れなくなり品川神社にお参りすると肉が付いたままとれたとか、他に持っていったら疫病が流行ったので、これはイケナイと戻しにきたとか、いくつもの説話があるという。
 江戸の時分は六月六日に行われた。明治になってから八日にかわる。
 ナンタアといえばサアイと答え、ヨイヤヨイヤ、エンヤエンヤなどとその掛け声に特徴があった。随分威勢が良く、宿場には沢山のひとが集まった。
 
 
■ 神輿を海中に入れてゆくところがなくなり、近年は場所を転々としながら行われている。
 四方に旗を立てた御座船と、お迎え船多数が洲崎橋のたもとから船を出す。
 洲崎橋とは、品川駅のすぐ近く、屋形船などが並んでいるところである。
 今年は満ち潮の関係で日曜の午前八時半近く、そうでないと神輿を乗せた御座船が橋の下を通過することができない。と、髪の毛を後ろで縛った祭の世話人が話していた。
 今年の海中渡御の場所は聞きそびれた。肝心なことを忘れる。
「夕方戻ってくるんですけどね、途中で甘酒をふるまうんです」
 神輿の担ぎ手は、腹に荒縄を巻きつけるのが習いだという。